老いを受け入れるという事
グループハウス光
池 本 尊
川端町にグループハウス光が建って早いもので十年になります。その間沢山のお年寄りの方と接する機会が与えられました。
病気や肉親に迷惑を掛けたくないという悩み、これからの不安などで時には気持ちが落ち込んだり、不平をついつい言ってしまったりという苦しみを
毎日抱えながら生活されている方が実に多いです。
その中でいつもニコニコして楽しげに毎日を過されているお年寄りがいる事も事実です。
その方達は、いまできることを喜んで、何事にも感謝し、若い頃のように出来なくなった自分自身をそのまま受け入れて生活している人達です。
当然若い頃のように思うように歩けなかったり、物忘れが多くなったり、多くの病気を抱えていたりと他のお年寄りと何ら変わるところはないのですが、
「出来なくなったらどうしよう、歩けなくなったらもう終わりだ」という考えよりも、自分が出来なくなっても誰かが助けてくれたらまだ大丈夫だよね、
と言って周りに感謝したり、物忘れが多くなったりしても、まだこれは自分で出来る事があると思い素直にその事を喜びニコニコしているお年寄りです。
そうかと言って自分がそうなったとき私自身が喜んだり、感謝できるかはわかりませんが、与えられた最後の時間をどのように暮らしていけば良いかというヒントを、
身をもって教えてくれているような気がします。
老いとは、加齢によって様々な機能が失われていくことです。
そのような境遇でどうしたらいつも喜んで、感謝できるようになるのだろう?と考えるときに、自分が弱くなった事、
自分の弱さを自分自身で受け入れる事が出来るかどうかにかかっているのではないでしょうか。
世の中は、出来ないことを隠したり、恥だと思い自分の力でなんとかしなければという世界ですが、出来なくなることは現実であり、
それを素直に受け取ることが出来ず、こんなはずではと言って後悔したり、出来ないことを他人のせいにしてしまって苦しむことは
せっかく貴重な時間が与えられているのにもったいないなと思うようになりました。
私自身も接しているお年寄りが不平を言わずニコニコして喜んでいる姿を見ると心が温まりますし、周りにいる人を幸せにする力があると思います。
この事は、弱さを身をもって経験した人でなければ出来ないことではないでしょうか。たとえ加齢により以前の様に出来なくなったとしても、
そこに居る人を幸せな空気で包むことが出来る大きな力があることを忘れないで欲しいと思います。